==========================================
最初にポチッ↓ ポチッ↓ とふた押し。ブログランキング参加しています。
にほんブログ村
==========================================
写真をクリックすると、写真が別窓で大きくなります。是非、写真を大きくしてご覧ください。
【今日の計画】
トゥルース・オア・コンシークエンシィズ(Truth or Consequences)の温泉宿シエラ・グランド・ロッジ・アンド・スパ(Sierra Grande Lodge & Spa)で2泊する。今日は中日である。街には温泉に浸る以外することがない。のんびり過ごすしかない。
●早朝、無行動。
●午前、ブラブラ。
●午後、ブラブラ。
●夕方、宿の温泉。
【今日の天気】
[予報]:
[実際]:快晴。
【今日の情報】
【地図】
*【シエラ・グランド・ロッジ・アンド・スパ(Sierra Grande Lodge & Spa)(A点)の周辺地図】
A:トゥルース・オア・コンシークエンシィズ(Truth or Consequences)(ニューメキシコ州)の宿:シエラ・グランド・ロッジ・アンド・スパ(Sierra Grande Lodge & Spa)
B:ジェロニモ・スプリングス博物館(Geronimo Springs Museum):A地点から徒歩400メートル、5分。
大きな地図で見る
*【シエラ・グランド・ロッジ・アンド・スパ(Sierra Grande Lodge & Spa)(A点)の周辺地図】
A:トゥルース・オア・コンシークエンシィズ(Truth or Consequences)(ニューメキシコ州)の宿:シエラ・グランド・ロッジ・アンド・スパ(Sierra Grande Lodge & Spa)
大きな地図で見る
【今日の実際】
【ジェロニモ・スプリングス博物館(Geronimo Springs Museum)】
トゥルース・オア・コンシークエンシィズ(Truth or Consequences)の街を散策し、ジェロニモ・スプリングス博物館(Geronimo Springs Museum)を発見する。
ジェロニモ(Geronimo、1829年6月16日 – 1909年2月17日)は、男性で、アメリカインディアン、アパッチ族のシャーマン(祈祷師)だった。
1858年、メキシコ軍に家族が虐殺されたのを機に、アパッチ族の戦士たちとともに対白人のゲリラ戦に従事した。
ジェロニモは銃弾の雨の中をものともせずにナイフを片手に戦場で暴れ狂い、その様を見て畏敬に駆られた一人のメキシコ人が、守護聖人の「ジェロニモ!」の名を叫んだ。これに呼応して、人々が口々に「ジェロニモ!」と叫んだ。こうして、この日このときを境に、彼の名は「ジェロニモ」となった。(ジェロニモ – Wikipedia)。
ファイファー襲撃(”Pfeiffer Attack”)の説明板。
1863年6月20日、マクレイ砦(Fort McRae)の指揮官だったアルバート・ファイファー大尉(Captain Albert Pfeiffer)は妻と2人の召使い、護衛兵とともにこの地に温泉を浴びに来た。一行が温泉に浸っている時、アパッチ族(Apaches)の一軍に襲われた。という話(出典:http://geronimotrail.com/pdf/apache-booklet.pdf)。
温泉の歴史(Bathhouse Histroy)。19世紀に温泉に浸っていたとある。最初の温泉ハウスは1882年(明治15年)に建てたというから、130年以上の歴史がある。温泉は日本特有ではないんですね。
公園の奥から入口を撮る。敷石に名前が記銘されている。この地にゆかりの人や寄付者のようです。
Mary Faye Leigon
&
Jimmy Snell と書いてある。
さよなら。ジェロニモ・スプリングス博物館(Geronimo Springs Museum)。
今回はここでおしまい。
ご覧くださって、ありがとうございました。
本日が幸せに満ちた1日でありますよう
今日も笑顔で!