【12】ロサンゼルス:全米日系人博物館(Japanese American National Museum):2013年11月21日(木)、4日目(3)


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前回は、リトル東京のトシ寿司で昼食を食べ、店を12:27に出たところで終わった。

【今日の予定】
*時差解消のための休養
*ロサンゼルス・ダウンタウンのリトル東京
*全米日系人博物館
*ロサンゼルス現代美術館

【今日の観光情報】

*全米日系人博物館(Japanese American National Museum)http://www.janm.org/
369 East First Street、Los Angeles, California 90012
phone: 213.625.0414 Hour: Tues-Sun 11:00AM – 5:00PM Closed on Monday
入場料:大人$9、学生、子供$5、5歳以下無料
無料の日:第三木曜日正午12時~午後8時
及び毎週午後5時~8時

事前学習(また来館後)の参考資料「全米日系人博物館」19ページ http://www.janm.org/jpn/jpnprogram/jpnlessonplan.pdf

【今日の気候】
11時頃まで雨、のち曇り
気温:寒い

【今日の実際】

リトル東京の全米日系人博物館(Japanese American National Museum)に行く(日本語サイト)。今回の旅行計画でのロサンゼルス・ダウンタウンに泊まる最大の動機は、この全米日系人博物館を見学することだった。
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上の写真の建物は1999年1月に開館したのだが、その7年前の1992年に、全米日系人博物館が創設された。当時は、現・博物館の前にある本願寺の建物の中にあった。本願寺の建物は現存していて、外観は趣がある。
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本願寺の建物にも全米日系人博物館(Japanese American National Museum)の標識が残っている。このドアは開かない(と思う)。何も注意事項が書いていないが、全米日系人博物館に来た人がこの建物だと間違えないのだろうか? まあ、振り返れば、本物の全米日系人博物館が見えるのだけれども。
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今日は第三木曜日なので、月に一度の入館無料日である。入館料は通常は大人$9 である。もちろん有料日に来ても良いのだが、月に一度の無料日はどれだけ混雑するのか見ておきたかった。最初に答えを書いてしまうと、驚くことに「ガラガラだった」。

2つの企画展示があった。博物館の入口ドア上部に大きなポスターが貼ってある。
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1.マーベルス&モンスターズ:アメリカのコミックに写るアジア系のイメージを暴く 1942-1986
開催期間:2013年10月12日~2014年2月9日

2.Go for Broke(当たって砕けろ):二つの戦線で戦った日系アメリカ人兵士たち
 開催期間:2013年11月12日~2014年3月2日

1は興味がないので見なかった。

入館のとき、受付で、パンフレットを2つとアンケート用紙を渡された。パンフレットの1つは館内案内:以下に示す。もう1つは現在の展示の解説で、5枚と長いので後で示す。

パンフレット1(館内案内)の表。
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パンフレット1(館内案内)の裏。館内地図である。
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受付で、「写真を撮っていいですか?」と英語で聞くと、対応した日系中年男性(日系?世)が日本語と英語で「良い」と答えた。隣に座っていた白人中年女性が、すかさず、「写真撮影は禁止されてますよ」と英語で言う。日系中年男性が「最近、全面的に解禁されたんだ」と英語で言うが、明らかに白人中年女性は信じていないそぶり。日系中年男性がさらに英語で何か言って、言い争っていた。女性はさらには主張しなかったが、館内を歩くと「撮影禁止」板が目についた。後で気がついたけど、上記の「パンフレット1(館内案内)の裏」最下段に、上記は見にくいけど「撮影禁止」と書いてあった。マサケイは、撮りましたけど。

1階の「Go for Broke(当たって砕けろ)」展。
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アメリカが第二次世界大戦に参戦した時、日系「アメリカ人」は、アメリカ人なのに、敵性外人とみなされ、強制収容され、大きく差別された。その差別を払いのけるかのように、強制収容所から何千人もの日系二世達が兵役に志願した。その兵士たちの合言葉が、「Go for Broke(「当たって砕けろ」、「死力を尽くせ!」、「撃ちてし止まん」)」である。

二世達の第100歩兵大隊、第442連隊戦闘団は、その編成規模としてはアメリカ全軍の中では最多数の勲章を与えられ、又一番長い期間戦闘に参加した。 死傷率のべ314%(のべ9,486人)。31.4%ではなく、100%を超えた314%というから、スゴイ。そういう、つらい、悲しい記録の数々が、手紙、写真、遺品で展示されている。
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入館者は、若い人、中年・老人と年齢は幅広いが、顔から判断して、入館者の3分の2は、アメリカに住む日系人か日本からの日本人だろう。
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第100歩兵大隊、第442連隊戦闘団に関しては、2006年、映画「Little Iron Men」が作成された。日本では上映されていないようだ。
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別の映画・『ザ・ブレイブ・ウォー 第442部隊』(2006年製作 劇場未公開作品)は、日本でビデオが入手できる。
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2012年4月1日にユーチューブ(youtube)にアップされた「日系人部隊 第442連隊戦闘団」シリーズ ①~⑤もご覧下さい。残酷な場面もあるけど、これが事実だったのでしょう。こういう記録映画を作ってくれた人、ユーチューブにアップしてくれた人に感謝する。




【ニュースの読み方】日系人442連隊とは何か?[桜H22/12/15] も取り上げている。

日系人写真家が見た強制収容所:「東洋宮武が覗いた時代」

全米日系人博物館の1階に劇場もある。「テラサキ ポール&ヒサコ オリエンテーション劇場」
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442連隊に出兵した日系人・スタンレー・ハヤミの物語りを上映していた。30分。感動ものである。
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2階は、第二次世界大戦中、日系アメリカ人が強制収容所に送られた歴史と生活の展示である。ここは心が痛む。入口は「Common Ground: The Heart of Community」とある。131121_8820

Common Ground=共通点。The Heart of Communityは、ワイオミングのハート・マウンテン Heart Mountainの強制収容所で、1942年8月12日~1945年11月10日過ごした記録を地名・Heart MountainのHeartと、英語のHeart=思いやりの心、愛情、興味、関心、勇気、中心、核心とかけているのだろう。ハート・マウンテン強制収容所は、イエローストーン国立公園の東60マイル (96.6 km)の場所にあった。

第二次世界大戦中、12万313人の日系アメリカ人がアメリカ政府によって強制収容所に送られた。かれらの大半は戦時転住局が管理する10ヶ所の強制収容所に入れられ、のこりの人々は司法省やそのほかの政府機関が管理する収容所や拘置所に入れられた。
日米開戦の翌年1942年に、アメリカ西海岸とハワイの一部の地域にすむ日系アメリカ人たちは、その7割がアメリカ生まれの二世で市民権を持っていたにもかかわらず、強制的に立ち退きを命ぜられた。なんの補償も得られないまま、かれらは家や会社を安値で売り渡さなければならず、中にはすべての財産を失ってしまった人もいた。
日系アメリカ人が国家の安全保障の脅威になるという口実のもと、フランクリン・ルーズベルト大統領は大統領行政命令9066号に署名し、陸軍省に、地域を指定しその地域内のいかなる人にも強制立ち退きを命じる権限をあたえてしまったのである。
それから40年後の1982年、「戦時市民転住収容に関する委員会」は、「大統領行政命令9066号は軍事的必要性によって正当化できるものではない。あらためて歴史的にその原因をさぐれば、それは人種差別であり、戦時ヒステリーであり、政治指導者の失政であった」と、ようやく結論したのである。(出典:「アメリカの強制収容所-日系アメリカ人の体験を語り継ぐ」展より

当時、日系とはいえ「アメリカ人」が、全く不当にも、富と地位を奪われ、バラックに強制収容された。以下の写真 (引用先)はワイオミングのハート・マウンテン Heart Mountainの強制収容所のバラックである。 10,767人の日系「アメリカ人」が強制収容された。内、799人の若者が志願兵になった。
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ハート・マウンテン Heart Mountainの強制収容所のバラックも再現されていた(左のボロイ木製建物)。
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再現バラックを別の角度から撮る。
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ここが全米日系人博物館の2階入口だが、左に積んであるスーツケースは、ハート・マウンテン強制収容所に入れられた日系「アメリカ人」が自宅から収容所に移動してきたときに持ってきたものである。
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写真、説明文の展示なので、見るのは相当疲れる。
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そして、それから46年後の1988年、米国政府は「間違っていました」と、大統領が謝罪したのである。こういう謝罪もスゴイと思う。

1988年8月10日、レーガン大統領は「1988年市民の自由法(通称、日系アメリカ人補償法)」に署名し、アメリカ政府は初めて公式に日系アメリカ人に謝罪し、署名した日に生存している被強制収容者全員に対してそれぞれ2万ドルの補償金を支払った。同時に、二度と同じ過ちを繰り返さないよう、日系アメリカ人の強制収容所体験を全米の学校で教えるため、12億5,000万ドルの教育基金が設立された。(出典:「アメリカの強制収容所-日系アメリカ人の体験を語り継ぐ」展より

2階の御簾をよく見ると、全米日系人博物館(Japanese American National Museum)に寄付した人の名前が書いてある。膨大な数である。撮ったので一部お見せする。寄付者の名前を残すなかなか上手な方法である。
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【添付資料】
全米日系人博物館入館時にくれた2つ目のパンフレット(冊子。主要部分の5枚)。字が小さくて読みにくいと思います。記事をクリックすると、記事が別窓で大きくなります。是非、大きくしてご覧ください。
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今回はここでおしまい。
ご覧くださって、ありがとうございました。

【日本改善提言】

提言:「東京に海外移民博物館を作れ」

解説:日本は明治以降、日本人をハワイに、その後は、アメリカ合衆国本土、ブラジル、ペルーなどに大量の移民を送った。移民地での生活と労働は劣悪で、移民ではなく棄民とも言われた。一方、地位が高いハズの科学者も、戦後、多く海外に移住した。この場合、世間では、「頭脳流出」などと言うが、当の科学者は、これも棄民だという人が多い。つまり、日本で博士号を取得しても、日本に研究職がない。日本に研究職があっても、日本の研究環境は劣悪で、科学者としての才能が発揮できない。例えば、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部洋一郎(1970年、アメリカに帰化)もその1人だ。

日本政府は海外に移住したこれらの日本人同胞が国際的に活躍し、ひるがえって、日本本国にも益となるという意識がない。日本を捨てた人間とみなし、無視する政策である。これでは、いかにも国際感覚がなさすぎる。海外に移住した日本人の親族の多くは日本に在住しており、また、海外に移住した日本人の心のふるさとは日本にある。海外在住者で日本に好意的な人はたくさんいる。フジモリ大統領ももっと上手に日本が援助すべき人ではなかったのか。

日本は現在、ますます国際的に活躍する必要がある。その時に、海外の知識・価値観・文化で日本の国際化に貢献してくれる日系人、海外から日本の政治・経済・科学技術に貢献・協力してくれる日系人をもっと大事にすべきである。その手始めに、日本にいる日本人に、海外移住した日本人の歴史・生活を伝える博物館を設けるべきだ。その博物館は、今回訪問したロサンゼルスの全米日系人博物館(Japanese American National Museum)などとも、交流すべきだろう。

本日が幸せに満ちた1日でありますよう
今日も笑顔で!


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